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ぴーちさんの体験談 (インタビュー) 

【子宮頸部扁平上皮癌---重粒子線治療】

体験談の最終更新日: 2015年4月

プロフィール
ニックネーム ぴーち
治療時年齢 28歳
病名、病態、病状 子宮頚部扁平上皮癌 Ub期

腫瘍径は8cmくらいで、左側に1ヶ所リンパ節転移がありました。
治療方法 重粒子線治療のみ
治療年、季節 2012年 6〜7月
治療期間、入院期間 治療期間 : 週4回×5クール

入院期間 : 43日間
現在のあなた 重粒子線治療から、2年半が経過。

先月の通院で、退院後初めて貧血の数値が正常に戻りました。

治療の副作用は今もありますが、体力は戻ってきてるので、

徐々に仕事を増やしています。

とても元気ですp(^^)q


病気になる前のライフスタイル
病院に行く前は、疲れてても自分のやりたいことはする!みたいな感じで、

疲れたからといっても、あまり休まないような生活だった。

お仕事は8:30〜17:30の週5日勤務で、残業とかはそんなに無かったけれど、

転職2年目で、わからなくても1から10まで教えてくれるような会社ではなく、

プレッシャーはすごい感じていたし、割とストレスが溜まっていたと思う。

プライベートでは、大学時代から続けている体操の練習が週2〜3回と、

休日はキッズの指導もしていたので、何かしら予定が入っていた感じ。

疲れてても、約束があるから行こう!とか、無理している部分はあったかも。

癌が発覚する1ヶ月くらい前は、肩こりがひどかった。

仕事も繁忙期の終盤だったり、プライベートも発表会が迫っていたり、

いろいろ重なって、忙しかったのは忙しかった。


大学時代からの頭痛
大学時代から、ずっと頭痛があった。

最初になったのは大学1年の春で、ものすごい頭痛。

毎日頭痛で、毎日吐いて、毎日体調が悪かった。

その時は、吐きすぎて一気に痩せて、ジーパンがゆるゆるになるくらい。

気分が悪くて、照明がまぶしすぎて、というような症状もあったので、

一人暮らしの友達の家で休ませてもらったりしたこともあった。

その後は、そこまで頻繁ではなく、1ヶ月に1回とか。

就職してからも、年に2回くらい、すごくしんどいのが来て、寝込むというか、倒れるというか、

寒気もあって、寝ててもつらい状況の時があった。

去年の夏も、旅行中にずっと運転だったのだけれど、ひどい頭痛で、

コンビニ寄ったり、サービスエリア寄ったり、トイレに駆け込んだり・・・

疲れが一番大きいのかな、とか。

あとは、姿勢の悪さと目の疲れからきてるみたいですね。


受診のきっかけ、病気のサイン
受診のきっかけは、不正出血。

生理が終わらない感じでずっと続いていました。     


職場近くの病院へ
最初は、職場近くの病院へ。

2012年4月末に受診、5/1に癌の検査、5/7に結果がわかったのだけれど、

結果を聞く日に内診があって、

カーテンの向こうで、前回検査してくれたお医者さんに対して、

「ほら、ここにあるでしょ」 と教えるような会話をしてるのが聞こえてきて、

その後、検査をしてくれた人とは別のお医者さんから結果を伝えられて、

「まだ若いし、子宮を残さないといけないから、すぐに大学病院へ行ってください。」

と言われて、紹介状を受け取った。


大学病院へ
5/10に大学病院へ。

最初、初診専用の部屋に通されて、内診をした時に、

「腫瘍が大きいから子宮は残せません」 という話をされて、

さらに別の部屋で、違う先生の検査があった。

そこで、

「腫瘍が大きいから手術はできない、

 放射線と抗がん剤で小さくしてから手術する」

みたいな感じの説明を受けて、

今後の事について聞いたら、

「普通の生活をしなさい」 と言われたので、

出血も続いているし、仕事する気分じゃないのに、

“こんな状態でも仕事をしないといけないの?!” って。

“えっ??” って思った。

結局、仕事は行ける感じでもなくて、社長に相談して、

どうしても誰も都合がつかない日だけ出て、休める日は休んだ。


親友がくれた情報
友達が、いろいろ治療の情報を調べてくれて、

その子は、私が死ぬと思ってて、号泣してたのだけど、

その子が調べてくれた中に、重粒子線治療の情報もあって、

千葉は遠いし、現実的じゃないし、家族にも迷惑かけたくないから、

その選択はないなと、 「ふぅーん」 くらいに思ってて。

たぶん、その時に病院のホームページも見たけど、親には言わずにいた。

そしたら、どういうわけか、それを母親が発見して、

「こんな病院があるなら、行ってみよう」 と。

自分では消したつもりの選択肢を選ぶことになった。


転院
大学病院で入院の方針を聞く日に、

「こういう病院があるから行ってみたい」 と言ったら、

「あなたはたぶん無理だと思うけど、行きたいなら紹介状を書くよ」 って言われて、

その翌日には、重粒子医科学センター病院へ行った。


そのまま入院
重粒子医科学センター病院の予約の段階では、

「まず入院できるか検査に来てください」 ということだった。

「結果次第では断る可能性もあるので」 と。

なので、火曜日に1泊のつもりで、母親が渋谷にホテルを取ってくれた。

で、診察の結果、

「治療できますよ」 ということになって、

「入院の前に、治療の準備をしないといけないから、金曜日までいてくださいね」 と言われて、

1泊のつもりが3泊4日に。

その時は貧血でフラフラな中、渋谷から稲毛に通ったのだけれど、結局、

「このまま入院したほうがいい」 という話になって、

そのまま1ヶ月半の治療入院になってしまった。

入院期間は、5/25〜7/6まで。

あの時は、本当に巡り合わせがよくて、たまたま病院の治療スケジュールが空いてた感じ。

検査も、「入れてもらうから」 みたいな感じで、先生がねじ込んでくれたような印象だった。

ベッドも、ほとんど埋まっているように感じたので、タイミングがよかったんだと思う。

ただ、渋谷に2泊して、そこから稲毛へ通うのは、とてもしんどかった。

止血用の綿を入れることで内臓を圧迫するのか、

気持ち悪くて、食欲もなくなるし、吐き気もするし、みたいな感じ。

貧血もあったし、途中で電車を降りて休まないといけないくらい、弱ってた。


貧血
当初、治療は 「重粒子線治療+抗がん剤」 を治験でできる、という話だったが、

貧血がひどく、体力が無いため、抗がん剤ができなかった。

抗がん剤ができないから、治験の対象にならず、

「重粒子線の単独治療」 となり、先進医療の治療費がかかった。

でも、結果的に、抗がん剤をやらなくてよかったと思っている。

貧血のおかげで、抗がん剤をしなくて済んだ、とも言えるかな。

入院して治療が始まるまでは、1週間あったのだけれど、

その間に、血の塊が出て、ストレッチャーに乗る、みたいなこともあった。

それも含めて、入院中にストレッチャーに乗ったのは、3回。

治療初日は、治療直後に震えが止まらなくなってストレッチャーで運ばれる、

というようなこともあった。

入院中は、血液検査を頻繁にしないといけなかったから、

“貧血なのに血抜かれる〜” って思ってた・・・(笑)

輸血は、入院中に計4パック。

前半に2パックと、帰る前日に2パック。

「輸血をしないと帰れない」 って言われて、退院直前に輸血した。

貧血は、治療後2年半経過して、やっと改善した。


子宮頸癌ワクチンのCM
私の入院前くらいから、子宮頸癌ワクチンのCMが本当にたくさん流れるようになった。

相武紗季さんの 「だいぶ先だと思ってませんか?」 ってやつなんだけれど、

あのCMを見る度に、“予防しなかったお前が悪い” と言われてるようで、本当に辛かった。

「子宮頸癌は予防できる」 とたくさん報道されることが、

私にとっては責められているような感じがして、とても苦しめられた。


元気な患者さん達
入院は個室を希望したが、すでに埋まっていたので、最初の2週間くらいは4人部屋だった。

向かいのベッドの方が夕食から帰ってきた後、

「あんなんじゃ足んないよ!」 と言って、カップラーメン食べてたのが印象的だった。

私は全然食べれなかったから、

“同じ病気なのに全然違う!パワフルなおばちゃんだなー” って。

私より早く入院されてたので、“私もあんな風になるのかなぁ” って思ってたけど、全然違った。

私はずっと車椅子で、ごはんも食べられなかったので、体重も減り続けた。

それに、ずっと病室から出られなかったので、知り合いもできなかったけれど、

お母さんは毎日来て、デイルームで知り合いを作っていたので、

お母さんからいろいろ話を聞いていたのだけれど、

“みんな強いなぁ” って思った。

ここにいる人達がみんな癌なんて信じられない!ほんとみんな元気!

言われなかったら全然わからないし、みんな生命力がある!

それに比べて、私はずっと車椅子だし、ごはんはいつも病室だし、

“私が一番病気なんじゃないか?” って思うくらいだった。


幸せの形は人それぞれ
あと、“子供が産めなくなるなら死んでもいい” って思っていた時期に、

同じ病室の膵臓がんの患者さんに、

「幸せの形は人それぞれだから」 って言われて、

今でこそわかるけど、その時は全然受け入れられなかった。


入院後半
入院後半は、かなり明るく過ごしたように記憶している。

もう、病気のこともあまり考えたくなかったので、考えてなかった。

入院中は、自分で病気のことを調べたりは一切せず、

ナノブロックをしたりして、ほんとにダラダラ過ごした。

たぶん、何も調べてなかったことが、私にとっては悩みにならずに、

平穏に過ごせたんじゃないかな〜と思う。

友達にも呆れられるくらいノーテンキに過ごしたことが、一番の治療になった気がする♪


寄せ書き
7/6に退院、1泊して、7/7に帰宅したのだけれど、

帰ってきたら、家の玄関に、友人達からのメッセージが貼り紙してあって、ビックリ!

みんなからの気持ちに、泣けた。


死を意識した瞬間
入院中は死ぬなんて考えてなかった。

“え? 死ぬの?”って思ったのは、

退院後に大学病院へ戻って、抗がん剤をするかしないかで先生と話してる時、

「五年生存率」 だったり 「延命治療」 っていう言葉を聞いて、初めて死を意識した。

先生から、

「抗がん剤しないと再発する可能性が高いですよ。

 再発したら次は延命治療になりますよ。」

って言われて、

“え? 再発って何? 治ったんじゃないの?” なんて思っていた。


運命として受け入れる
そこから、「抗がん剤をどうするか?」 みたいな時期が始まった。

“抗がん剤をやってもいいかなぁ” と思う時期もあったし、

“やりたくないなぁ” って思う時期もあった。

たぶん日本って、「抗がん剤するのが当たり前」 みたいな感じで、

「しないといけない」 みたいな固定概念があるから、

抗がん剤をしない選択にはすごく勇気がいるし、

“できればやりたくないけど、仕方ないかな” と・・・

結局、自分では全然決められなくて、

“ほんとにもう誰でもいいから、誰かが言ったのに従うから、ほんとに決めて!” って思ってた。

そんな時、母親の勧めで、慶應大学病院の近藤先生のところへ行って、

「再発とか転移する時は、最初に癌になった時にそうなるって決まってるから」 と言われて、

「それは運命として受け入れなさい」 と。

それまでは、

抗がん剤をせずに再発とか転移しても後悔するし、

抗がん剤をして再発とか転移しても後悔する、

どっちにしても後悔するなぁって思ってたんだけれど、

その話を聞いたら、

抗がん剤をしなくて再発とか転移しても、“それは運命なんだな” と受け入れられる、

そう自分の中で思えたから、もう “やらない” って決めた。


家族
7月に退院して、10月に兄の結婚式があったのだけれど、

私が “もう結婚できないと思うから、おばあちゃんになって孤独死するくらいなら、

今みんなに見守られて死にたい” と、抗がん剤のことを考えるのを放置してた頃、

兄が、

「将来みんなで “あの頃は大変だったな” って笑えるように、今きちんと考えよう」

って言ってくれて、そして、

「結婚式はいつでもキャンセルするから、自分のことだけ考えろ」

って言ってくれたことで、私の涙腺は崩壊・・・(笑)

病気になったのは本当に最悪なことだったけれど、

家族と親戚の愛を感じれたことは、本当によかった。

さらに、その年の12月、

母が企画したサプライズ誕生会には本当にビックリ!

朝メールしていた県外の友達がうちにいて・・・

数日前に会った県外の兄夫婦もいて・・・

親戚のおじちゃん、おばちゃんも集まってくれて、

一番嬉しいバースデーになった。


放射線性胃腸炎
その12月は、ちょうど放射線性胃腸炎になった頃で、

11月に、週3で仕事に復帰していたのだけれど、

ある日、急に胃が痛くなって “ストレスなのかなぁ” と思ってたら、

結局、放射線性胃腸炎だった。

判明する前は、近所の病院で胃カメラを飲んだけど、

結局原因がわからなくて、精神安定剤を出されたりとか、

さすがに、それは一錠も飲まなかったけど・・・(笑)

その時は、本当にごはんも食べられないし、

ごはんも食べてないのに、気持ち悪かったりとか、お腹痛かったりとかで、痩せた。

それで結局、1月には仕事を辞めて、

辞めたのがよかったのか、2月くらいにはずいぶん落ち着いた。


断食
放射線性胃腸炎が落ち着いた後、

2月か3月に、母親と2泊3日の断食に行った。

食事は、にんじんジュースが基本で、生姜茶とお湯と黒糖はいつでもどうぞ、という感じ。

施設内には、ラドン温浴やヨガ教室などもあった。

ある時、大学の講師だったか、お医者さんだったかが来てたので、相談したら、

「断食は癌に効果的で、お腹がすくと、正常細胞が癌細胞を食べる」 とかなんとか、

そんな感じの話をされて、

「食べすぎは良くない」 って言われた。

実際やってみて、デトックスというか、腸がきれいになった気がした。

にんじんジュースは、今も毎朝飲んでます。


その他の気になる症状
【足のしびれ】

退院直後は、足がしびれやすかった。

一つの体勢をしておくと、体が固まってしまう感じで、しんどかった。

【腸が敏感】

治療後は、腸が弱くなった。

最近はそこまでひどくないけれど、

買い物に行くと絶対にお腹痛くなるし、トイレに行けないと思うとトイレに行きたくなる。

【痔】

治療で痔になってしまい、入院中、泣きそうになるくらい痛かった。

【血便】

血便は、放射線性胃腸炎くらいの時から1年ぐらい続いている。

最初は 「やばーい!!!!!」 って思ったんだけど、

大学病院の先生も、重粒子の先生も、「放射線の影響だね」 って言うので、

とりあえずそれを信じてます(笑)

そのせいで、ヘモグロビンや鉄の値がずっと悪かった。

【むくみ】

鼠頸部が、かなり腫れる。

たくさん動いた日や、ストッキングをはいた日、スキニーパンツをはいた日なんかが

特に腫れるかな。

その時は、家に帰ってからルームウェアに着替えて過ごすと、少し引く。

血流の流れを止めるようなものを履くとダメなのかも・・・

昨年、整膚治療に出会って、その先生曰く 「リンパ浮腫は絶対治せる」 って言っていた。

実際、2回ほど治療をお願いしたところ、しばらくは夜ぐっすり眠れた。

トイレに起きることも多かったので。

ただ、私の場合は 「そんなに頻繁に通わなくて大丈夫」 と言われている。

【ポリープ】

2014年10月に、子宮にポリープが見つかった。

“内診がいつもより痛い” って思ってたら、なんと組織検査をしてたみたいで、ポリープが3つ!

ポリープの画像見せてもらったら、ツルンとした豆粒みたいのが3つあって、

“ポリープってほんとに綺麗な形してるんだなぁ” って思ってしまった。

細胞診の結果は問題なく、私としては “ポリープでよかったな” って思った。


鍼灸治療
鍼灸治療は、週に1回行っている。

入院前も何日か行ったけど、通うようになったのは2012年の冬から。

正直言うと、鍼にいった後によくなってるか・・・実感はあまりない(笑)

でも、鼠頸部の腫れが少し引いたり、

消化が遅くて胃が張ってたりすると張りをおさえてくれたり・・・というのはわかる。

あとは、週に1回見てもらえるので、安心材料になってる。

CTやMRI検査の日も、“鍼で診てもらってるから大丈夫!” と自分に言い聞かせられるし、

実際、鍼の先生に舌とか脈とか診てもらって、

「今日は調子いいなー」 とか、

「今日は・・・うーん、前の方がいいなー」 って、ちゃんと診察してもらえるのでありがたい。

鍼の先生に勧められた、足首用温熱サポーターも愛用してる。

着けていてあったかいって感じはしないけれど、取ると寒いから、

ほんとにあっためてくれてるんだなぁって。

その鍼灸院には、私以外にも重粒子の患者さんが来てるらしい。


治療後のライフスタイル
現在は、週に4日、フルタイムじゃないけど働いている。

大学時代から続けてきた体操は、治療後半年で復帰して、2年間ほど続けた。

今は、キッズの指導だけ続けてるので、週1回だけ。

家では、甥っ子の面倒をみたり、週末も遊びに出歩いて、

治療前より時間があるぶん、遊んでるかな。

千葉への通院も頻繁に行くので、移動時間にカギ針編みを始めた。

毛糸とカギ針とハサミがあればできるので、

電気もいらないし、片付けも楽チンだし、一番向いてると思って。

今は、ゆとりができて、一生懸命遊んでる感じ。

今なら、「幸せの形は人それぞれ」 って言葉を素直に受け止められるかな。

それでも、友達に初めて癌を打ち明ける時は、泣かずにはいられないけど・・・

ただ、人生一回きりなので楽しもう♪ って。

いつ何があっても後悔しないように、楽しんでる。

それから、「感謝の気持ちを忘れるな」 と、お母さんによく言われる。

「病気になってちゃんと命が助かったんだから、感謝しないといけない」 と言われるので、

いろいろ考えて、犬の名前に 『マハロ』 ってつけた。

『マハロ』 って、ハワイ語で “感謝” って意味で、

すごく気に入ってる。

2年前から、アニマルセラピーのように、自分の子のように可愛がってます♪(*^ー^*)











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